アメリカでコメディアンをやってると「日米のお笑いの違い」をよく聞かれます
でも文化が違うので単純に比較できない。。。
それでアメリカのコメディの特徴を考えてみました。
なんだろう?それは難しいことじゃなくて、単純に下ネタ好きなこと。
なんてジョーダン。
それも正解だけど、大きな特徴はコメディアンの意見(ボイス)があること。笑いの中の彼らの主張は社会を変える力になります。。
コメディは娯楽を超えたアートだから。
現代アメリカのコメディは社会や政治の風刺が圧倒的に多い。
最近も大統領選のジョークで大盛り上がり。
先日バイデンの勝利が確定した日の、人気コメディ番組レイト・ショー(Late Show with Stephen Colbert)からジョークを一つを紹介。
司会のステーヴン・コーベアが、シャンパングラスを片手に大きな笑顔で、「アメリカは何ていうか。。。再び偉大になる感じだね!」 トランプのスローガン「米国を再び偉大に」の揶揄で、私は大ウケした。
“It feels like America is, what’s the word? Great again.”
Late Show with Stephen Colbert on Nov 9, 2020
トランプの「メディアはウソの情報を流してて、自分のいうことだけが真実」と、支持者を信じ込ませるガスライティングな発言に、コーベアは4年間ずっと「大統領の方がウソをついてる」と言いつづけてきた人。
視聴者の賛否両論はあれど、番組の立ち位置ははっきりしている。こういった風刺がなければ、たった4年間で独裁に流れていく危険性は大きい。
アメリカのコメディーに社会的意見が多いのは、フリーダム・オブ・スピーチを誇りにしてるから。
権力を怖れず自分のいいたいことを言えるこの権利は、憲法の人権に関する第5章の第1条。2番でも7番でもなく1番目。内容は、思想・宗教・言論の自由で、集会や署名運動、出版とスピーチ、平和的抗議・デモの自由を約束してます。(日本は憲法の第19〜21条)
フリーダム・オブ・スピーチは、投票制の法律が作られたあと、独裁を避けるために追加された。ヨーロッパの専制に抑圧され続けた移民達が掲げた、自由の象徴。
一般人の声は無視されがちでも、集団になればパワーになる。だからこの国では反対運動やデモ行進が奨励される。これがコロナ禍でも、アメリカがデモ抗議を禁止しない理由だ。
コメディアンの意見も尊重されるので、政治・権力への批判から、社会問題も人種差別、性差別、貧富の差、クラス社会、宗教やセックスまで、赤裸々にネタにする。
歴史を辿れば、チャップリンのModern Timesはクラス階級の風刺、The Great Dictatorは独裁政治の批判だった。
一般人がおかしいと思うことは、ユーモアを通して公言され、古い常識は塗り替えられていく。
そんなアメリカも、何でも自由に言えなかった歴史がある。
1960年代に、旧・新約聖書の観念上タブーとされた言葉を使い、何度も逮捕された伝説のレニー・ブルース。表現の自由に物議をかもした。
70年代にはジョージ・カーリンの、放送禁止用語ネタ(差別用語ではない)を放送したラジオ局が訴えられ、最高裁で争われた。体を張って表現の自由を手にいれてきたコメディアンたち。彼らの使った言葉は、今では媒体により規制はあるが、メディアで普通に使われる。
現在日常で、そしてステージの上で、私たちが自由に話せるのは、彼らの犠牲があったからです。
そうは言っても、痛烈に批判され、笑われ、傷つく人もいる。泥かけ試合になり醜い。でも発言の自由を、アメリカ人は大切にする。
個人の自由を守るため、自分の発言に責任をとるコメディアン達は、アウトローな先駆者だ。
わたしも周りのコメディアン達に、「君の意見はなに?」と初めの頃はよく聞かれた。
「女は大人しく」の日本文化で育った私には、自分の意見を言葉で表すことは今でもむずかしい。でもアメリカでは意見がないと相手にされない。大人として扱ってもらえない。
だからオピニオンを持つことは精神的な自立といい聞かせ、自分のボイスを考える日々。
早く一人前の大人になりたいもんです。
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